Now Playing Tracks

子を持つ親の意見で、

イジメに合わないために私立に通わせるつもり

イジメにあったらすぐに親に報告するように言っている

イジメられたら後で復讐できるよう内容記録しとくよう言っている

イジメられても親だけは絶対に味方になるよと言っている。

などなど我が子を守るための決意がいろいろ出ている。

しかし、自分の子供がいじめ加害者になることを想定した意見が一つもないのはどういうことだ?

イジメが無くなって欲しいなら、

「お前が誰かをいじめたら、問答無用でこの手でお前を殺して、被害者に詫びる」

と常に我が子に言い聞かせとけ。

イジメがなくなる家庭教育 (via mcsgsym)
たとえば風邪をひいたとします。
飲み屋のお姉さんは「まあ、たいへん、早く帰ってゆっくり休んでね」と言います。
頭の中では「風邪が長引いたら店に来る回数が減るじゃない、第一、私に風邪を移さないでよ」と思っています。

一方、奥さんは「もう、私に移さないでね」と言います。
頭の中では「私まで倒れたら、あなたの世話ができないじゃないの」と思っているかもしれません。

でも、どちらの人の言葉が嬉しいかというと、打算で構成された飲み屋のお姉さんです。

というエピソードは本書には出てきません
Amazon: 超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略: 超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略 (via igi)
そんなことは、ないんだけどね、
 まぁ、仮にってことで想像してみてほしい。
 仮にだ、ぼくが「自転車」を発明したとします。
 いままで自転車はなかったと思うんですよ。
 とにかく、ぼくは自転車を発明しました‥‥と。
 
 「ねぇ、みんな聞いてくれ。
  これを、ぼくは自転車と名付けてさ、
  大々的に売り出そうと思うんだよ、すごいだろ」
 そうすると、すぐに言われるんだ。
 「乗れないですよ、それ。
  どれだけ便利かはわかりましたけど、
  乗れるまでに買ってくれた人は転んだりします。
  ケガした場合には、かなり問題になりますよね。
  頭打ったら死に至るかもしれません」
 「いやいや。ちょっと練習したら乗れると思うんだよ」
 「ちょっとやそっとじゃ乗れませんよ。
  それに、誰が教えるんですか、乗り方、運転の仕方」
 「そうかなぁ。マニュアルをしっかりつくってさ‥‥」
 「マニュアルを読みこまなきゃならないようなもの、
  絶対に受け容れられませんって!
  顧客に試練を強いるような不親切な商品は、ダメです」
 ‥‥というようなことに、なるような気もします。
 
 仮にぼくが「ピアノ」を考えたとしても、
 「えーーっっ! 十本の指をばらばらに使って、
  これを操作しろっていうことですよね?」
 という大反対意見が出てくるだろうと思います。
 「ギター」でも「将棋」でも同じでしょうね。
 
 そして、ここまで「ぼくが」と言ってきましたけれど、
 「あなたが」と主語を替えてもいいです、むろん。
 そしたら、「自転車」や「ピアノ」のことを、
 難しすぎると言って反対する役割は、
 ぼくが勇んでやっていたという可能性は大です。
 自慢じゃないけど、ぼくはそういうことを言います。
 
 昔の人は、もっと「ユーザー」を信じてたんじゃない?
 十本の指をばらばら使いまくってピアノを弾くよ、人は。
 二輪の、止まれば倒れる自転車に練習して乗る、人は。
 これ、けっこう大きな問題のような気がしています。
ほぼ日刊イトイ新聞 - 目次 (via ishizue)
To Tumblr, Love Pixel Union